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2009年06月15日

●形あるものより…

最近ラジオで忌野清志郎の新曲がよくかかります。それを聞いていると、彼が亡くなったという事が実感として湧いてこないですね。今でも元気に歌っているような気がします。

人は必ず死にます。これは万人に対して唯一平等に決まっている事です。どんなに立派な人でもお金持ちでも、権力者でも独裁者でさえ「死」から逃れる事は出来ません。

どうあがいても「死」から逃れられないとするのならば、素直に受け入れるしかありません。そうやって考えると楽になれます。死に対する恐怖とか不安って言うのが消えるからです。


それよりも、自分亡き後の世界や人々に何を遺せるか考えた方がいいでしょう。ただ、形あるものを遺したとしても長らくは遺らないような気がします。お金や土地、家なんかでもそうですが、形あるもの(物質)っていうのはいつか朽ちます。何世代か後にまでそのまま遺るかというとそうではありません。

しかし、清志郎の歌を聴いてて思ったのですが、こういった歌やメッセージ、思想や考え方といった目に見えない(精神的な)ものっていうのは、その想いを受け継ぐ人がいる限り半永久的に遺るのではないかと…。そうやって考えると、本当に後世に遺すべきものっていうのが見えてくるような気がしませんか?

僕も自分が亡き後は子ども(子孫)に何かを遺したいと思っていますし、崇高な物言いをするのであれば、社会や次の世代に対しても何か遺す事ができればと思っています。でもそれは、単なる生き様ではダメだと思うんですよね。生き様って自分本位な所が多々ありますし。

ただ、やっぱり僕は「カタチアルモノ」より「カタチナキモノ」を遺したい気持ちが強いです。その方がハードル高いんですけどね。はたして死ぬまでに、その高みに自分自身を持っていけるかどうか…精進します!





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