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2012年08月01日

●死生観

本日は2社のお客様とお打ち合わせでしたが、そのうちの1社で「死」についてのお話になりました、「人間60歳を過ぎると死というものが身近になってくる」というお話でしたが、これは確かにその通りです。60歳を過ぎればより多くの死を経験するようになるでしょうし、自分自身の死とも向き合っていかなくてはいけません。

体というイレモノは必ず老化しますし、精神的にも老化していくかもしれません。どんな人も死から逃れる術はありませんし、全ての人に平等に与えられるものが「死」なんですね。だからこそ、「死」としっかり向き合い「今」を一生懸命に生きなければいけません。


「じゃあ、死っていったい何だろう?」と禅問答のような事を考えても、凡人にはなかなか答えが見つかりません。ただ、それでも最近は「死」に対する考え方…というか向き合い方が変わってきました。闇雲に畏れるだけではなく、いつ「死」が訪れても悔いの無いような生き方をしたいと思っています。

ただ1つ言えるのは、「誰の記憶からも無くなり、完全に忘れ去られた時が本当の死」だと思うんですよね。肉体が死んでも、誰かの心にその人の事が残っている限り、その人の心の中では生き続けていると思うんです。例えばアーティストの人なんかは死んでからも影響を与え続けますが、それは精神的には死んでいないんじゃないかと思えるわけです。

最近、NHKで「デジタル世界での死」についての特集をやっていました。デジタルの世界での「死」はいつになるのでしょう?例えば、僕のこのブログは僕が死んでからも(サーバー契約が続く限り)デジタルの世界では生き続けます。いつか僕の何代か後の子孫がこのブログを見つけるかもしれません。

…まぁ現実問題として何代か後までサーバー契約を続ける事はありませんが、デジタルの世界ではコンテンツは簡単にコピーされて広がっていきます。だから、僕の書いた文章を未来の子孫が見るという事が全く無いとは言い切れません。例え自分の祖先と認識していなくても、知らず知らずのうちに先祖の痕跡に触れる可能性はあります。

まぁ子孫に限らず、僕の生きた証が誰かにとって有益な情報になってくれたらこれほど嬉しい事はありません。少しでも誰かの心に残るべく、誰かの心の中で生き続ける事ができるよう、これからも残せるものはどんどん残して行きたいと思います。





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