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2010年03月30日

●個性的であれ

本日は4社のお客様とお打ち合わせでした。イレギュラーな案件(PCの不具合など)も重なって、只今帰社したのですがもうヘトヘト状態です…。

そんな中、あるお客様の所では教育の話になりました。その方は昔先生をされていたのですが、今の教育はおかしいんじゃないかとおっしゃっていました。確かに最近の教育は画一的のように感じます。ヘタするとロボットを作っているんじゃないかとさえ思います。ちょっと乱暴な言い方ですけどね…。^_^;

もちろんある程度の基礎学力は必要ですし、同じ事をみんなに教える事も大切でしょう。でもね、大切なのは「個性」じゃないでしょうか?国語が得意な子もいれば、理科が得意な子だっているわけです。算数が苦手でも絵が上手い子や、英語は出来ないけれども歴史が大好きな子もいるはずです。

もちろん個別に対応なんて出来ない事はわかります。それでも、それぞれの「良い所」を伸ばす教育をもっとしていった方がいいのではと感じます。


…というのは、先生が指導者的役割を放棄しているというか、「弱く」なっている印象を受けるんですよね。教育委員会とか保護者に気を配るあまり、身動きができなくなっているというか、自由度が薄れているような感じがします。個別対応なんかしてしまうと、どこかの親から「えこひいき」なんて言われる可能性もあるから難しいんだとは思いますけどね…そういう意味で先生自体にも「個性」がなくなっていると思います。

僕が思うに、先生って怖い存在でいいと思うんです。そこに「愛」があれば、ある程度の体罰だっていいと思っています。学校は学問を学ぶ所ですが、それ以前に集団行動とか、我慢とかしつけを学ぶ場でもあります。でも先生がなめられていると、そういう指導も上手くいきません。学級崩壊が低学年にまで広がっているのは、子供を甘やかしすぎた結果ではないかと思うんです。強い先生がいなくなっているんですよね…。

ちなみに、うちの息子の学校だけかもしれませんが、今の学校って宿題を提出しても提出しなくてもいいんだそうです。自主性を重んじているのかどうか知りませんが、それなら宿題自体出さなくてもいいんじゃないでしょうか?宿題って学力を上げる目的だけじゃなくて、宿題を提出する=しっかりやってきたという事を先生に見てもらうという側面もあると思います。提出しなくてもいいのであれば、そういう意識も芽生えてきません。

詰め込み式の教育が有効なのは大学受験までです。それ以降の人生ではもっと他に重要な事が出てきます。それは、「自分で考え」「自分で選んで」「自分で行動する」という事です。それが「経験」であり「選択」であり「人生」です。そういう所に重きを置いて、「個性」を伸ばすような教育をしていってもいいのでは?と思うのは僕だけでしょうか?





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