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2011年05月12日

●焉

人は歳を取るにつれて「死」を身近に感じるようになります。それは、自分自身の「終わり」を意識するからかもしれませんし、周囲の「終わり」と接する機会が多くなるからかもしれません。

ただ、不思議と「死」に対する畏れは無くなっていくように感じます。誰しもが平等に迎える、絶対に逃れられないものですし、多くの死と接する事によって一種の理解が深まるのかもしれません。


「あきらめ」とは違いますよ。「死を受け入れる」ようになるんです。そして何故「死」が必要なのか、「死」の持つ意味をも考えるようになります。

「死」は一種の概念です。「本当の死」という記事でも書いていますが、肉体は死んでも「理念」や「志」は生き続けます。そういう意味では、生き様が大事なんですよね。

「死」は必ず訪れます。それもいつ訪れるかは分かりません。明日かもしれませんし、50年後かもしれません。でもいつかは必ず訪れます。だからこそ「終わり」を迎えた時に後悔しないよう、「今」という時を一生懸命生きる事が大切です。

きっと人生を精一杯「生きる」ために、「終わり」があるんだと思います。





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